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史跡紹介

Nijyojyo 二条城

  • 史跡情報
別名
旧二条離宮 / 恩賜元離宮二条城
正式名称
元離宮二条城
城郭構造
輪郭式平城
築城主
徳川家康
築城年
1603年
主な城主
徳川氏(江戸期) 皇室(明治17年ー昭和14年)

二条城は、正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)ともいい、京都市街にある平城であります。
二条城と呼ばれるものは、戦国時代以前にもありましたが、現存する二条城は徳川時代からのお城であります。

ネスコの世界遺産の「古都京都の文化財」の構成遺産であり、二の丸御殿の6棟が国宝に、また22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財にしてされているのみならず、庭園のうち「二の丸御殿庭園」は特別名勝であり、他にも日本100名城に指定されるなど文化財として大変貴重な存在となっております。

文化財として優れた資産となる二条城ですが、同時にこの城は歴史の節目をいろどった場所でもあります。
歴史的に良く知られた事件としては「大政奉還」があげられます。

大政奉還は最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上した出来事であり、これによって350年続いた徳川幕府は終焉します。
その大政奉還の舞台になったのが、この二条城の二の丸御殿黒書院においてでした。
徳川家康が地上四、彼の将軍宣下に伴う賀儀が開かれたのもこの城においてであったことを考えあわせると、まさに徳川幕府の始まりと終わりを演出した場所であるといえるでしょう?

史跡「二条城」のポイント紹介

  • 正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)という
  • 現存する二条城は徳川時代からのお城
  • ネスコの世界遺産の「古都京都の文化財」の構成遺産
  • 二の丸御殿の6棟が国宝に、また22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に指定されている
  • 庭園のうち「二の丸御殿庭園」は特別名勝に指定されており小堀遠州の代表作でもある
  • 日本100名城のひとつでもある
  • 歴史的に良く知られた事件としては「大政奉還」の舞台となったお城

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    • 二条城

      二条城は、正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)ともいい、京都市街にある平城であります。 二条城と呼ばれるものは、戦国時代以前にもありましたが、現存する二条城は徳川時代からのお城であります。 ネスコの世界遺産の「古都京都の文化財」の構成遺産であり、二の丸御殿の6棟が国宝に、また22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財にしてされているのみならず、庭園のうち「二の丸御殿庭園」は特別名勝であり、他にも日本100名城に指定されるなど文化財として大変貴重な存在となっております。 ...

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    史跡「元離宮二条城」の口コミ Googleの口コミより出力

    • 投稿者:中村勝

      評価:5

      [[書き足しから書きます❗ 4月11日まで桜まつり、ライトアップ有ります(*゚∀゚) 今日の雨で散らなければいいですが···· マッピングもとても綺麗ですよ(^o^)丿 ライトアップの時間帯は 見る所が限定されます(^。^) 拝観料がいるので、調べてみてくださいね(^_^)]] 下記は以前書いた文です 追記有ります(^^)d 京都に産まれ、京都で育った私は、ここは数え切れないくらい行ってます❗ 特別公開の時は父と一緒に絶対来ていました(⌒‐⌒) 世界文化遺産の二条城は、美しさと気品さと、計算され尽くした綺麗な庭園❗ どれをとっても世界に堂々と誇れるお城だと思いますp(^-^)q 日本の行く末を変えた(大政奉還)!私は、他に類をみない,とても重味をもった二条城が大好きです❗ 色んな国の方が沢山来られてるのをみて、ありがとうって気持ちになります🎵 でも思うのですが日本って本当に素敵な国ですよね❗四季があるので色んな名所の,その時々の違う顔を見せてくれるし,,,,,,,,, とても豪奢で絢爛な美しい二条城に是非来てほしいです。最高\(^-^)/ この間も二条城に行きました❗ とても沢山の外国の方が居ました❗ 夫婦やカップルやお友達同士で来て、とても楽しそうに見学されていました\(^-^)/ その風景は何だかとても嬉しくなりました✨ 沢山の人に来ていただき、日本の名所を沢山巡っていただき もっともっと日本を好きになって欲しいです(* ´ ▽ ` *)ノ

    • 投稿者:* shi

      評価:3

      とても広く、2時間くらいかけてゆっくり見ました。 すごく素敵な場所でした。 虎の間の壁がどれもきれいで、どうしたらその時代にここまで建造ができたのか不思議な気持ちになりました。 徳川家の力って本当に偉大ですね。 もう一度行きたい場所です。 --------------------------------------------- 以下、二条城の警備員に対して感じたことです。 結論から言うと、とても嫌な思いをしました。 私が撮影禁止と知らず撮影をしてしまい注意されました。 それは当然のことだと認知しています。 (事前に言われていたのでしょうが、私が聞いていなかったので大変申し訳ないです) 警備員の男性に注意されたのですが、 「撮影禁止って聞いてないの!?」「早く消して!」「携帯の中見せて!」「ダメと言ってるでしょう!」「早く消しなさい!」 携帯を食い気味で覗かれ、大勢の前で罵声を浴びせられました。 もちろんその場で消しましたが、その形相がとても恐ろしく怖かったです・・・ 私の不注意なので非があるのは私ですし、監視するのが彼らの役目なのは分かりますが、抑圧がすごくてとても怖かったです。 年上の男性に大勢の前で大声で怒鳴られたことに恐怖を覚えました。 その後パニック障害のようになり冷静に見れませんでした。 ってこれは個人的なことなので関係ないのでしょうが・・・。 1/22の昼間です。 二条城に入ってすぐの虎の障壁画で、すぐ角にいた中年男性です。 世界遺産ですし、しっかり監視され、どんな人物に対しても強い態度を取るべきなのでしょう。 しかしこの方に関しては、モラハラのように思われる対応に感じとても残念でした。 もう少し、誠意のある注意をしてほしかったです。 二条城はとても美しく、次回はもっとゆっくり見に行きたいと思います。

    • 投稿者:森福卑弥呼

      評価:5

      千年の都 京都の代表格パワースポット 日本の歴史が変わった大政奉還 徳川家康から歴代最高権力者にふさわしい最高芸術の数々 国をまとめ統一安定のためにの実力見せの豪華建築作品 鶯張り廊下 各部屋ごとの特徴ある計算しつくされた接見間 見るもの全てに言葉にならないくらい圧倒されます。帰宅後もカルチャーショック 寝付かれない凄いインパクト 国宝にふさわしい パワーショック リピーターになっちゃうよ…

    • 投稿者:kazuyoshi sugiura

      評価:5

      桜を観に訪れました😃 二条城は江戸幕府初代将軍徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と宿泊するために築城されました。二の丸御殿の大広間では、15代将軍慶喜が大政奉還の意思を表明された場所で有名です❗ 二条城は外堀と内堀の二重構造になっています。二の丸庭園や清流園などはかなりの敷地を利用しているようで、幕府の権力の大きさをひしひしと感じられました😆 二の丸御殿は国宝であり撮影禁止ですが拝観できます。手のひらを大に伸ばしたくらいの扉、人3人分はありそうな天井、どれもスケールがでかいです😃 本願御殿は現在修理中です。完成が楽しみです❗

    • 投稿者:Akkey IIDA

      評価:3

      ・信長が最初に建てた「旧二条城(または二条御所)」は別の場所。 ・二条城は徳川幕府の始まりと終わりの場所。家康が関ヶ原の合戦直後に手がけ、徳川慶喜の大政奉還(1867年)が行われたから。 ・二条城は京の町の碁盤の目から3度ずれている。平安京時代は北極星が基準とされたが、徳川の頃には西洋からコンパスが持ち込まれ、それを基準にしたから。 ・GHQがテニスコートを作った。 ・大正天皇の即位の儀式後に晩餐会が開かれた。 ・ダイアナ妃が来日したときにガーデンパーティーが開かれた。 【史跡区分】 国宝(二の丸御殿6棟)。旧国宝=国の重要文化財(建造物22棟、御殿障壁画954面)。国史跡。特別名勝(二の丸御殿庭園)。世界遺産(古都京都の文化財)。

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    二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある日本の城。江戸時代の徳川将軍家の平城であり近代においては皇室の離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である。

    京都市街の中にある平城で、足利氏・織田氏・豊臣氏による二条城もあったが(旧二条城跡について)、現存するものは徳川宗家の城のみである。当城は京都御所の裏鬼門に位置する。徳川家康が都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川幕府の武威を示すため京都御所・公家町(現:京都御苑および冷泉家一帯)および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城である。

    二条城では徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀、江戸幕府による禁中並公家諸法度の公布、後水尾天皇の行幸、幕末期は徳川慶喜の居城となり大政奉還の上奏、離宮時代には大正天皇の行啓や饗宴の儀など徳川幕府の始まりと終わりをはじめ日本の歴史を見届けてきた歴史的に重要な場所である。 

    明治維新により徳川将軍家から接収された二条城は、1884年に皇室の「二条離宮」へ変遷した。その後、1939年(昭和14年)二条離宮は京都市に恩賜され、元離宮二条城と改称、そして現在に至る。

    城内全体が国の史跡に指定されている他、狩野探幽をはじめとする狩野派一門など各名工らが荘厳華麗な金碧画から可憐な花鳥画までの障壁画と多彩な透彫欄間や飾金具ともに日本唯一本来の徳川将軍家城郭御殿完全遺構である二の丸御殿(6棟)が国宝に、旧桂宮邸である本丸御殿をはじめ22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、小堀遠州の代表作と知られる二の丸庭園が特別名勝に指定されている。

    城外史跡としては、築城時代からの史跡二条城外堀護岸が存在する。

    現代史では1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に歴史的および文化的価値の高さから洛中唯一の城郭建築として「古都京都の文化財」として登録された。

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