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史跡紹介

Okazaki-jyo 岡崎城

岡崎城
  • 観光情報
  • 史跡情報
所在地
〒444-0052
愛知県岡崎市康生町561-1 岡崎城
交通アクセス
東岡崎駅から徒歩で10分
営業期間
公開:9:00~17:00 入場は16:30まで
休業:12月29日~12月31日
公式サイト
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top
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別名
龍城
城郭構造
梯郭式平山城
天守構造
複合連結式望楼型3重3階
築城主
西郷稠頼・頼嗣
築城年
享徳元年(1452年)
主な改修者
松平清康、田中吉政、本多忠利
主な城主
西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年
明治6年(1873年)

松平氏(徳川氏)の持ち城で徳川家康の生地でもあります。
享禄3年(1530年)頃、松平清康まつだいらきよやすは明大寺より龍頭山の砦へと本拠を移し本格的な岡崎城おかざきじょうを構えましたが、これが現在の岡崎城となります。江戸時代には岡崎藩の藩庁となりました。

この史跡が登場する登場人物

  • 松平清康

    松平清康

    戦国時代の武将。安祥松平家の第7代当主。三河国安祥城、岡崎城主。 徳川家康の祖父にあたる。

この史跡が登場する史跡記事

  • 岡崎城

    岡崎城

    松平氏(徳川氏)の持ち城で徳川家康の生地でもあります。 享禄3年(1530年)頃、松平清康は明大寺より龍頭山の砦へと本拠を移し本格的な岡崎城を構えましたが、これが現在の岡崎城となります。江戸時代には岡崎藩の藩庁となりました。

この史跡が登場するブログ記事

  • 織田信秀

    織田信秀「尾張国内の勢力拡張編」④最晩年の苦闘

    前回の記事では織田信秀が朝倉と共に美濃の斎藤道三へ攻め込み、稲葉山城(現在の岐阜城)を攻撃して大敗するまでを書いた。 命からがら尾張に逃げ帰った信秀であったが、この勝利の余勢を駆って後に斎藤道三が大垣城を攻めた。信秀は大垣城救援のため木曾川を渡って美濃に乱入しあちこちに放火したが、これに驚いた斎藤道三は稲葉山城に引き上げている。 一方、信秀は三河においては快進撃を続けていた。西三河の安祥城を攻略して、さらに岡崎城を攻撃し三河の国人である松平広忠を降伏に追い込んだ。広忠は嫡男の竹千代(後の「徳...

  • 織田信秀

    織田信秀「尾張国内の勢力拡張編」③斎藤道三との戦い

    前回の記事では織田信秀が西三河の安祥城、岡崎城と攻略し松平広忠を降伏させて広忠の嫡子・竹千代を人質にとるまでを取り上げました。竹千代は後の徳川家康であり、この時に織田家の捕虜となり、その後2年ほど熱田で育つことになります。 当時10代の織田信長が竹千代と会ったかどうか確実な資料はありませんが、おそらく何どか会ったことはあるかも知れません。 一方、織田信秀は美濃方面へも勢力拡張をはかります。 その頃の美濃は守護の土岐家が力を失い実質的に斎藤道三が権力を握っていました。斎藤道三の父...

  • 織田信秀

    織田信秀「尾張国内の勢力拡張編」②守山崩れと西三河を巡る攻防

    前回の記事では織田信秀が那古野今川氏の居城である那古野城を攻略するあたりまで解説しました。 今回は西三河へ進出する織田信秀にスポットをあてて解説していきたいと思います。 謀略によって今川氏豊の居城である那古野城を奪い取った信秀は、そこを拠点に愛知郡に勢力を拡大していきます。そして天文8年(1539年)に古渡城を築くと、次第に第二の経済的基盤となる熱田を支配するなど尾張国内における勢力を次第に確固たるものにしていきます。 一方隣国三河では松平清康が勢いを伸ばし、織田信光が守る尾張の...

この史跡が登場するエピソード

  • 安祥城での対立

    織田氏と松平氏の争奪戦の対象となった安祥城

    かつて安祥城は安祥松平家(徳川本家)の居城として重要な位置をしめており、しばしば織田と松平の争奪戦の舞台ともなりました。 清康が家臣に殺される「森山崩れ」が起きて松平氏が弱体化すると、織田信秀が落城させ、織田信広を城代において支配するようになります。 その後、松平広忠これを取り戻そうと軍勢を送り戦うも目的をはたせず、かえって織田信秀に岡崎城を攻撃されて降伏するという結果になりました。 嫡男の竹千代が織田の人質としてとられたのはこの時の事でした。 こうした中で弱体化した松平は松平広忠は今川義元...

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史跡「岡崎公園」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:Japanese HiRo

    評価:4

    岡崎公園は徳川家康が生誕した岡崎城を中心とする公園です。真っ白な天守閣を囲んで乙川、伊賀川沿いに咲く桜はとても綺麗で「日本さくら名所100選」にも選ばれているほどです。 桜まつりの時季には多くの人が訪れ、メインイベントの家康行列や、夜桜のライトアップを楽しめます。 広大な敷地には、岡崎城だけでなく神社や料亭、歴史資料館もあり、日本情緒を感じながらの歴史散策にぴったりです。

  • 投稿者:さんぽ

    評価:4

    戦国武将の姿の方々が気さくに話しかけてくれて、岡崎公園のいろいろな説明をしてくれます。とてもフレンドリーです。最後に写真を撮らせてもらいました。そぞろ歩きにも良いかと思います。

  • 投稿者:やらいでかYaraideka

    評価:5

    初めて五平餅を食べました。味噌が少し苦手な印象でしたが食べてみたら、驚愕!餅と味噌って最高な味でした。寒さと空腹もあったので、より美味しさが倍増。砂糖×醤油味が餅では最高と思ってたが、 新たな味を教えてくれてありがとう。 ありがとう岡崎、ありがとう東海オンエア。

  • 投稿者:みけ子

    評価:4

    小さな頃から行ってますが、今回は3年ぶりに花見にきました。 時期的には少し散り始めかなと思えましたが沢山の桜景色は圧巻と想います。 個人的にはもう少し屋台がキレイに出てれば景観を害されることがなく尚美しいと思うのですが… 思っていたより屋台もあり、駐車場もこの時期だからかわからないですが1号線から入り奥へ行くと広い駐車場(有料)あります。近くに岡崎城もありますし、長く滞在するならここがおすすめかも。 今年も綺麗でした。

  • 投稿者:Yoshi A

    評価:4

    花見で4年に1度の頻度。その度ごとに催しが変わり、変わらない岡崎城の威厳にいつも春を感じています。思えば、なかなかこの規模の城を身近に感じることができない。春だけじゃなく夏も秋も冬も行きたい。

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岡崎城(おかざきじょう)は、三河国岡崎藩(現在の愛知県岡崎市康生町)にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。

戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。岡崎城は当初、「岡竒城」と記された。また、『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年(享禄元年) - 1531年(享禄4年))以来の名號にして、其以前は菅生郷なり、」と記載されている。

1959年(昭和34年)に天守が復興された。

岡崎城の簡易歴史年表

享禄3年(1530年)松平清康、明大寺より龍頭山の砦へと本拠を移し、本格的な岡崎城を構える。
天文11年(1542年)城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。
天文18年(1549年)松平広忠が死去し、今川家の支城として城代が置かれる。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川が敗れると、松平元康(後の徳川家康)が岡崎城を取り戻し今川家から独立する。
元亀元年(1570年)徳川家康、本拠を浜松城に移す。
岡崎城は子の松平信康が入るものの、その後謀反の疑いをかけられて自刃。以後、家臣の石川数正、本多重次らが城代を務めた。
天正18年(1590年)家康が関東に移封となり、豊臣家臣の田中吉政が入る。吉政は強固な石垣や城壁を用いた近世城郭に整備し、城下町の整備も積極的に行っうなど、現在の岡崎城の原型を造る。
慶長7年(1602年)徳川家臣の本多康重が5万石で入城。以降、家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務るようになる。
慶長5年(1600年)~正保2年(1645年)本多康重から3代忠利にわたり改修。平城、三重三階の天守が建てられる。
明治6年(1873年)廃城令により廃城となる。本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみとなり、敷地は龍城神社、岡崎公園として整備される。
昭和34年(1959年)3月、天守が復興される。

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