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史跡紹介

Fukui-jyo 福井城

  • 観光情報
  • 史跡情報
住所
福井県福井市大手3
営業時間
見学自由
定休日
料金
無料
アクセス
JR福井駅から徒歩5分/北陸自動車道福井ICから車で15分
公式サイト
https://www.fuku-e.com/spot/detail_1016.html
お気に入り
別名
北ノ庄城、北庄城、庄城
城郭構造
輪郭式平城
天守構造
層塔型7層(一説には9層)柴田氏北ノ庄城時代(1575年) 望楼型4重5階(1601年・非現存)
築城主
柴田勝家
築城年
1575年(天正3年)
主な改修者
結城秀康
主な城主
柴田勝家、越前松平家
廃城年
1871年(明治4年)
遺構
石垣、土塁、堀

織田信長により越前49万石を与えられた柴田勝家により築かれた北ノ庄城が福井城ふくいじょうのはじまりとされている。その後の慶長5年に結城秀康が入封し、柴田勝家時代の北ノ庄城の跡地に天下普請によって今の福井城築かれた。かつては四重五階の壮麗な天守があったが、現在は二ノ丸、三の丸は存在せず、本丸の内堀と石垣と天守台のみが現存している。

史跡「福井城」のポイント紹介

  • 織田信長により越前49万石を与えられた柴田勝家により北ノ庄城が築城されたのがはじまり。
  • 現在の福井城は、その後の慶長5年に入封した結城秀康が、柴田勝家時代の北ノ庄城跡を埋め立てて築城した。天下普請により他の大名に築城を行わせる形で築かれた。
  • 本丸を中心に二の丸、山里丸、三の丸を回字状に配置した輪郭式の縄張りであった。家康が自ら行った縄張りと伝えられている。本丸の北西方に四重五階の壮麗な天守があったが、寛文9年(1669年)に消失し、以降再建されなかった。
  • 現在は二ノ丸、三の丸は存在せず、本丸の内堀と石垣と天守台のみが現存している。建物は明治初期にほぼすべてが解体された。
  • 石材は越前特有の笏谷石(しゃくたていし)で随所に刻印も見える。
  • 日本海側の城にあっては最大級の石垣を誇る。
  • 現在、本丸があったところには福井県庁や県会議事堂などが立つ公園となっており、朝夕通勤の人たちを多く見かける。

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  • 福井城

    織田信長により越前49万石を与えられた柴田勝家により築かれた北ノ庄城が福井城のはじまりとされている。その後の慶長5年に結城秀康が入封し、柴田勝家時代の北ノ庄城の跡地に天下普請によって今の福井城築かれた。かつては四重五階の壮麗な天守があったが、現在は二ノ丸、三の丸は存在せず、本丸の内堀と石垣と天守台のみが現存している。

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史跡「福井城跡」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:Aki Yoshi

    評価:4

    続日本百名城です。現在は天守は現存せず、天守台の石垣が残るのみで天守の周りは福井県庁や県警本部などが立ち並んでいます。城主は徳川家康の次男の結城秀康により越前北庄68万石にて築城。以前は石高に比例した立派な四層五階な天守がありましたが1669年(寛文9年)の大火で焼失後、再建はされなかったようです。 城郭は山里口御門と御廊下橋など復元も徐々に進んでいます。福井の地名の由来にもなった福の井と云われる井戸も残っています。天守の石垣は1948年の福井地震で崩れ、現在も当時の崩れたままの姿で残っています。城のお堀の周辺には福井藩や福井城に関する看板が点在していて散策するのも面白いです。山里口御門や御廊下橋にはちょっとした復元に関する展示もあります。30分~60分くらいは滞在できそうです。

  • 投稿者:wankorochan

    評価:4

    結城秀康が築城した福井城跡です。 現在は城跡の中に県庁があります。 石垣は綺麗な布積み、素晴らしい石垣に堀です。 福井城の西側に位置する山里口門は新しく復元されていて中に入れて資料が飾ってあります。 スタンプも置いてあります。

  • 投稿者:まさる(yk-2)

    評価:4

    2022年夏に電車にて訪問🚞 訪問時は特急しらさぎを利用しました✨ JR福井駅からは徒歩で5〜6分程度です。 城跡は現在の福井県庁ほかで利用されていますので、かなり整備されています。石垣、井戸(復刻)、堀、天守跡などが整えられており、散策できるようになっています。 平日の訪問でしたが、城跡散策の訪問客は私以外居ない様子でした。 ちなみに、散策は30〜40分程度あれば充分かと思います。 入場料の類は無く、開場時間内であれば基本的に無料で散策できます。 名城スタンプは県庁の1Fにありました。

  • 投稿者:T Hatano

    評価:3

    現在は城址に福井県庁、県会議事堂、県警本部が置かれている。復元されたものとしては、山里口御門、御廊下橋、福の井がある。かつては、同じ場所に北ノ庄城があり、斯波高経、北庄朝倉、柴田勝家などと城主は変遷した。1575年に結城秀康(後の松平秀康)が、関ヶ原の戦いで、戦功第一位として城主となる。北ノ庄の「北」が敗北を連想させるとして、地域が「福居」、そして福井と呼ばれる事で、福井城となる。福井はまた、北ノ庄城にあった「福の井」という井戸(旱魃時にも水位が変わらなかったと言われる)の名前に、因んだとも言われている。

  • 投稿者:依羅

    評価:5

    旅行の行程の一つとして、福井城跡に行きました。 1948年の福井大震災で崩れた石垣がそのまま残されています。 時間のある方は、福井市立郷土歴史博物館 、養浩館庭園と併せて見学されると良いかと思います。

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福井城(ふくいじょう)は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井にあった城。本丸の石垣と堀が残るが、二の丸、三の丸はほぼ消滅して市街地化している。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄える。現在、本丸跡地には福井県庁、福井県議会や福井県警察本部が庁舎を構えている。なお、本項目では福井城が築城される以前に同地に存在した北ノ庄城についても合わせて記す。

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