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史跡紹介

Higashi-honganji 東本願寺

東本願寺
  • 史跡情報
  • 所在地
    京都府京都市下京区常葉町754
  • 関連人物

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史跡「東本願寺(真宗本廟)」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:ランナーズハイ42195

    評価:4

    迫力ある建造物❗正門からしてド迫力がある。厳かな本堂は、なかにはいることがお薦めです。御堂の中は落ち着くので、少しボーとするのも良いと思います。京都駅からも近いので少し足を伸ばしてみるのもお薦めです。 天井のたかさや、建物が纏う空気かんがなんとも言えないですよね。西本願寺と比べてみてもお互いの良さがわかると思う。やっぱり京都は良いお寺や神社がたくさんある。何回も来たい理由がここにはありますね最高ですね。

  • 投稿者:炬燵炬燵

    評価:3

    とにかく圧巻の寺院内。綺麗な建屋が見れると思います。正門を入ると、案内板が見やすい高さで設置されてるので、寺院内の配置を確認してから散策されると無駄がないと思います。 砂利が敷きつめられていますが、ベビーカーや車椅子、補助輪を使われてる方々にもスムーズに移動出来るように通路が作られてあります。 ただ、通路は直線に作られているので、建屋から建屋の移動の時、若干時間を要します。十分配慮はされてますが、少し段差があったりするので、躓かないようにご注意ください。

  • 投稿者:Rie

    評価:5

    この東本願寺に入る前に京都タワーの上から全貌を見した。 何度も行っている場所でしたが改めて上から見るのも良かったです。 京都タワーから歩いてすぐです。 入る前にお堀の池に大きな鯉が泳いでいるのを見ながら大きな門の前に来るだけで、圧を感じていました。 門をくぐり、中に入ると砂利があり 昔にはきっとここに偉い人物などが参拝に来たんだろうと急に思いました。 大きな龍の水が出る手洗いのとこの龍もとても素晴らしいと思いました、龍好きにはとても良いですね! 御影堂に入るために靴を脱ぎ、木の階段を上るのも歴史好きなら、誰かこの階段を上ったのだろうとか考えてしまいそうです。 ここでもとても圧を感じることができます。 中に入ると大きな畳の広間で、参拝客がそれぞれ正座をしたり、足を組み座禅の修行のようにされていたりします。 私は入るのもためらわれてしまうぐらいの圧でしたが、中に入り前まで行きました。 が、すぐ頭を畳にひれ伏す感じを2回ほどしました。 正確に言えば、先に挨拶をしなさい。礼儀を重んじなさいと言われているような気がしたから、頭を上げることができなかったのです。 頭を2度下げた辺りから普通の感覚になりました。 私はきっと 東本願寺から 礼儀を知りなさい、そうすれば皆を受け入れます。 と言われて気がしました。 人としての礼儀をちゃんとしなさい、 みんなは仲良くあるべきだ。と優しいのだと思いました。 本来、お寺とはこういう場所なんじゃないかなぁと思いました。

  • 投稿者:松原洋平

    評価:5

    東本願寺、本当によく場所を聞かれます。地下鉄五条駅が最寄り駅ですが電車を待つ時間と下車してから地上に上がるまでの時間を要しますので京都駅からブラブラと歩きながら行くのも選択の1つだと思います。京都駅を下車したら京都タワーに向かって歩いて下さい。京都タワーを過ぎるとヨドバシカメラも通過して下さい。そうすると信号があります。その信号を渡るとゴールです。そこが東本願寺です。めちゃくちゃ広いです。噴水もあるので涼しみながら東本願寺を眺めてみて下さいね。着くまでに自販機はありますがコンビニはありませんので、好きな飲み物は京都駅のコンビニで買ってトイレも済ませて行く方が良いでしょう。公衆トイレはありますがコメントは控えておきます。最後に西本願寺もありますので、お西さん、行ってみて損はありませんよ。直ぐ着きます。

  • 投稿者:おんごろにゃ

    評価:5

    不思議と気持ちが落ち着く場所でした。 靴袋を用意してくれてあるので靴をいれて持ち運びながら中の仏さまに参拝する形ですね。 広い空間に全面畳じき、空気が清々しい上になぜか涼しい。 いつまでもいられる場所だなと思いました。 むちゃくちゃリラックスできます。

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史跡「東本願寺」についての読者投稿

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東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都府京都市下京区常葉町にある真宗大谷派の本山寺院。本尊は阿弥陀如来。正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)であり、山号はない。東本願寺の名は通称であり、西本願寺(龍谷山本願寺)に対して東に位置することに由来している。愛称は「お東」「お東さん」。2020年(令和2年)7月現在の門首は、大谷暢裕(修如)。

東本願寺の簡易歴史年表

天正19年(1591年)本願寺11世の顕如が豊臣秀吉により京都堀川六条に新たな寺地の寄進を受け、大坂天満から京都堀川六条に本願寺を移転する。
慶長7年(1602年)徳川家康から教如(顕如の長男)へ後陽成天皇の勅許をもとに烏丸七条に寺領が寄進される。
※ 当時、教如は豊臣秀吉の命により本願寺の寺内で隠居させられていた。
これにより本願寺は顕如の三男である准如の西本願寺(本願寺派)と、教如の東本願寺(大谷派)に分裂する。
寛永18年(1641年)3代将軍徳川家光から1万坪の土地の寄進を受ける。
承応2年(1653年)石川丈山によって庭園が造られ、渉成園と名付けられる。
寛文10年(1670年)親鸞聖人を祀る大谷祖廟が造立される。
延享2年(1745年)8代将軍徳川吉宗が、没収された長楽寺の境内地1万坪を大谷祖廟に寄進する。
天明8年(1788年)1月の天明の大火によって阿弥陀堂・御影堂が焼失、寛政10年(1798年)に幕府による用材の寄進などあり再建される。
文政6年(1823年)11月15日、境内からの失火で阿弥陀堂・御影堂が焼失。天保6年(1835年)再建される。
安政5年(1858年)北の町屋からの火で阿弥陀堂・御影堂が焼失。万延元年(1860年)に仮堂ながらも再建される。
元治元年(1864年)7月の禁門の変に伴うどんどん焼けで阿弥陀堂・御影堂焼失する。

※ 江戸時代に上記にある通り4度の火災に遭い、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄された。
※ 現在の阿弥陀堂と御影堂は明治28年(1895年)に落成した建物である。
昭和52年(1977年)11月2日、東本願寺爆破事件が起きる。
昭和56年(1981年)6月11日、新『真宗大谷派宗憲』(新宗憲)発布。
「法主」を廃して「門首」を新たに設け、本願寺住職および管長の役職を廃止。
昭和62年(1987年)12月「宗教法人 本願寺」が「宗教法人 真宗大谷派」に吸収合併される。

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