宇治上神社(うじがみじんじゃ)は別名「離宮明神」(りきゅうみょうじん)とも呼ばれ、平等院の鎮守社であると共に、平等院と同じくユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成遺産のひとつであります。
御祭神は応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の三柱であり、逸話では、応神天皇は末っ子で学問に秀でた才を持つ菟道稚郎子を寵愛し、彼を皇太子にしたところ、これに不満を抱いた長子の大山守王子、後の仁徳天皇が兵を差し向けるに及び、これを悲しんだ菟道稚郎子は兄に皇位を譲るため自らの命を絶ってしまったという悲しい逸話が伝わっております。
国宝の本殿は最近の調査により1060年頃のものであることが分かり「現存最古の神社建築」と呼ばれております。
中にはいると向かって右側の左殿には菟道稚郎子命が、中殿には応神天皇、向かって左側の右殿には仁徳天皇が祀られております。扉の絵は重要文化財にしていされています。
拝殿も国宝にしていされており、こちらは鎌倉時代前期の造営とされていて、平安貴族の居住である寝殿造の遺構といわれています。
拝殿の前には円錐に盛られた「清めの砂」と呼ばれるものがあり、例年9月1日に行われる「八朔祭(はっさくさい)」において氏子によって奉納され、お正月や大切なお祭りの日には、この砂を境内に撒いてお清めするとのことです。
この「清めの砂」は授与所で授かることが出来ます。
拝殿の右手の手水舎で湧き出る『桐原水』も有名です。
宇治はお茶の名所として知られていますが、かつて室町時代の頃には7つの優れた茶園「宇治七茗園」存在し、その栽培に欠かせない水として「宇治七名水」というものも存在しました。
他の六名水はその後枯れてしまいましたが、この桐原水のみ、現在もこんこんと湧き続けています。
(直接飲むことはできませんので注意してください)
さてご利益ですが、祭神のひとり菟道稚郎子は学問に秀でていたところから、学業成就・受験合格の祈願のためお参りされる人が多くいます。
また、「宇治」はかつてうさぎのみち「菟道」(うじ)と呼ばれていたことから、うさぎが描かれたかわいらしいおみくじやお守りなどもあります。
平等院を見た後はぜひ一度立ち寄られてはどうでしょうか?
いますぐ会員登録を行いスーパーコメントでこの史跡の記事を作成しませんか?
歴探巡旅は旅と歴史をテーマにしたポータルサイトです。
ユーザーの皆様とともにコンテンツを作り上げ盛り上げ交流していきたいという思いのもの運営しております。
スーパーコメントは写真付きのコメントで会員であれば自分のコメントを編集したり削除したりできます。
また、自分のコメントが一覧表示されたページが自動で作成されて表示されます。