menu
史跡紹介

Turuoka-hachimangu 鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮
  • 観光情報
  • 史跡情報
アクセス
JR横須賀線、JR湘南新宿ライン「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分
江ノ島電鉄「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分
自家用車:横浜横須賀道路(旭横須賀道路)の朝日奈ICから、県道204号線を鎌倉方面から約5km。
駐車場
普通車 9:00〜19:30 1時間まで600円 / 以降30分毎300円 駐車場台数:普通車40台
(2022年7月12日時点)
開門・閉門時間
10月~3月:6時~21時
4月~9月:5時~21時
公式サイト
https://www.hachimangu.or.jp/
お気に入り
別称
鎌倉八幡宮
創建
康平6年(1063年)
主祭神
応神天皇/比売神/神功皇后
アクセス
「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分 「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分 「横浜横須賀道路・朝比奈I.C.」から5km

源頼朝ゆかりの神社として有名であり、鎌倉八幡宮とも呼ばれています。
もとは源頼義が1063年(康平6)に京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請し鶴岡若宮を称したのが始まりとされており、源頼朝が1180年(治承4)に現在の地に移し、この宮を中心に鎌倉の町をつくりました。
観光地としてとしても有名で、多くの人たちで賑わっています。

史跡「鶴岡八幡宮」のポイント紹介

  • 鎌倉まつりで魅せる「静の舞」~源義経と静御前の悲しい逸話~

    Shizuka-gozen in her farewell dance to Yoshitsune

    葛飾北斎筆、北斎館蔵、文政3年(1820年)頃

    Katsushika Hokusai, Public domain, via Wikimedia Commons

    源義経が愛した妾のひとりに静御前という人がいます。
    彼女は平安時代の後白河院政の頃に京で白拍子をしていた女性で、白拍子とは、当時流行した今様などを歌いながら男装で舞いを披露する女性のことであり、静御前もそんな白拍子の一人でした。寿永元年(1182年)に後白河法皇が神泉苑で白拍子100人を呼んで「雨乞いの舞」を舞わたおりに、源義経に見染められたと伝えられています。
    静御前は、義経が兄頼朝と不仲になり追われるようになると彼女も共に都落ちするようになります。その後吉野山にて義経と別れ、蔵王堂(金峯山寺)に辿り着いたところを捕らわれてしまい、そのまま北条時政に身柄を引き渡され、母の磯禅師とともに鎌倉に送られましまいます。
    鎌倉に着いて後、静御前は源頼朝から舞を披露するよういわれましたが頑なにこれを拒絶します。しかし、八幡大菩薩に献舞するという事になり舞を断れなくなった静御前は、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することになりました。

    『吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき』
    『しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな』

    義経を思う心をうたい舞う静御前の姿を見て頼朝は激怒します。
    しかし、同じ女心を感じた北条政子は、「自分が同じ立場でもそうしたでしょう」と頼朝を諫めたといいます。
    その後静御前はしばらくの間鎌倉に逗留します。静御前が身ごもっていたからであり、男の子ならば殺される運命でした。そして実際に生まれたのは男子であり、生まれてまもなく殺害され由比ヶ浜に捨てられました。その後の静御前がどこに行ったのかわかっていません。由比ヶ浜に身を投げたともいわれています。

    静の舞は鎌倉まつりの一環として舞殿で行われます。
    詳細は「鎌倉観光公式ガイド」をご覧ください。
    https://www.trip-kamakura.com/site/kamakura-matsuri/online.html

史跡を選択

    • 地図アイコン

    この史跡が登場する史跡記事

    • 鶴岡八幡宮

      鶴岡八幡宮

      源頼朝ゆかりの神社として有名であり、鎌倉八幡宮とも呼ばれています。 もとは源頼義が1063年(康平6)に京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請し鶴岡若宮を称したのが始まりとされており、源頼朝が1180年(治承4)に現在の地に移し、この宮を中心に鎌倉の町をつくりました。 観光地としてとしても有名で、多くの人たちで賑わっています。

      ロード中です。しばらくお待ちください。

      史跡「鶴岡八幡宮」の口コミ Googleの口コミより出力

      • 投稿者:山田一朗

        評価:3

        この公園は家から見えるぐらい近くにあり、天気のいい日によく行きます。 私は仕事で家にいることが多く、塞ぎ込みがちなので気分転換に散歩したりこの公園に行くのですが、子供達が元気よく遊んでいてこちらの気分も明るくなります。親御さんも少し離れたところから見守りながら親御さん同士で話しており、子供に何かあっても対応できるようにしていて素晴らしいと思います。また防犯カメラ等も辺りにありますので安心して遊べると思います。遊具の補修や道の整備、植木の剪定などもしっかりしてあるので見た目がきれいなのもよい点だと思います。

      • 投稿者:土屋国峰

        評価:5

        別称として「鎌倉八幡宮」とも呼ばれます。 武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍である「源頼朝」ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある、国の史跡に指定されている有名な神社です。 境内にある本宮(上宮)は文政11年(1828年)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定され、本宮は大石段上にある。大石段は61段あり、登りきると桜門、その奥に拝殿と繋がった本宮があります。 建造物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は朱塗りではなく白木造りだった。 更には「源平池」として、北条政子が掘らせたと伝わる池もございます。源平池の上には横切るような石造の橋が架けられ、その名は「太鼓橋」と称されます。 鶴岡八幡宮の参道は「若宮大路」と呼ばれ、由比ヶ浜から八幡宮まで、鎌倉の中心をほぼ南北に貫いている。世界中の観光客も是非訪れたい、鎌倉市内で有名な観光スポットであり、11月の紅葉シーズンや七五三祝いのお子様で社頭は賑わう。 土日祝日はかなり混みますが、平日でも混雑する日があります。不定期で流鏑馬も催行しますね。 お正月・元日の初詣シーズンもかなり混雑しますね。

      • 投稿者:D. Zawa

        評価:4

        古都鎌倉を象徴する神社で、創建は1063年で源頼義が前九年の役後、鎌倉の材木座に源氏の氏神として京都の石清水八幡宮から勧請したのが始まり。現在地に遷座されたのが頼朝の鎌倉入りの頃の1191年には本宮(上宮)と若宮(下宮)の両宮の姿になった。現在の本宮は1828年造営のもので、今から200年近く前のものとは思えない位きれいな状態で残っている。何度か参拝しているが、今回は源氏山を経由せず建長寺から歩いてきたので、比較的楽に着いた。毎回大変なのが、参道を歩いていくと人混みが凄く前に進めないので、今回は込み入っていない鳥居から入った。 何度観てもきれいに清められていて参拝していて気分が良い。

      • 投稿者:塙悟志

        評価:5

        鎌倉に来た時に立ち寄る鉄板の観光名所です。 初めての方にはまず参拝をオススメします。 時間があればゆっくりと境内巡りをするのが良いでしょう。 とても広い境内は季節によって多くの木々の姿や花々を楽しめます。 池を眺めてのんびりしたり、ハトががくつろいでいる姿に平和を感じるひと時を得られます。

      • 投稿者:mogmog

        評価:3

        神奈川県の神社では一番の参拝客数の神社です。寒川神社が2番めだったと思います。川崎大師はお寺ですので、対象外です。あじさいが見頃になってきたので、北鎌倉の明月院や長谷駅近くの長谷寺は大混雑ですので、早朝に訪れた方が良いと思います。 2019年10月の平日に初めて訪れました。近くには何度か訪れた事はありましたが。朝早く8時頃に到着しました。駅から歩いていると、中学生の団体客が来てましたが、拝殿をスルーして、右奥に歩いて行きました。良く見ると、近くに小中学校がありましたので、そこの生徒と思われます。落ち着いて参拝できました。高台に鎮座してるため、正面の参道からは見映えが良い感じです。西側横にある丸山稲荷の入り口の鳥居に蛭子さんの名前がありました。奉納したみたいです。ギャンブル運でも祈念したのでしょうか?8時半位に神職や巫女さんが現れ、準備に取りかかってました。

      会員による投稿

      いますぐ会員登録を行いスーパーコメントでこの史跡の記事を作成しませんか?
      歴探巡旅は旅と歴史をテーマにしたポータルサイトです。
      ユーザーの皆様とともにコンテンツを作り上げ盛り上げ交流していきたいという思いのもの運営しております。
      スーパーコメントは写真付きのコメントで会員であれば自分のコメントを編集したり削除したりできます。
      また、自分のコメントが一覧表示されたページが自動で作成されて表示されます。

      新規ユーザー登録
      *必須項目

      通常コメント ※非会員も投稿できます

      コメントを投稿しませんか?
      歴探巡旅は旅と歴史をテーマにしたポータルサイトです。
      ユーザーの皆様とともにコンテンツを作り上げ盛り上げ交流していきたいという思いのもの運営しております。
      写真付きのコメントも歓迎します。
      史跡にまつわる逸話や感想など、歴史好きな皆様の投稿をお待ちしております。

      史跡「鶴岡八幡宮」についての読者投稿

      コメント投稿

      コメントを頂けると励みになります。

      wp-puzzle.com logo

      鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある八幡宮。鎌倉八幡宮とも呼ばれる。11世紀後半に、源氏の守り神として創建された。以後、鎌倉武士の守護神となる。現代では全国の八幡宮の中で、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝ゆかりの神社として関東方面で知名度が高い。境内は国の史跡に指定されている。旧社格は国幣中社で、神社本庁の別表神社であったが、2024年に神社本庁を離脱する手続きを進めている(後述)。

      カテゴリーが同じ「神社」の記事

      地区が同じ「鎌倉」の記事

      鶴岡八幡宮の簡易歴史年表

      康平6年(1063年)河内源氏2代目の源頼義、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請する。
      永保元年(1081年)2月に河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)により修復される。
      治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉入りした源頼朝により、宮が現在の地である小林郷北山に遷される。以後社殿を中心にして幕府の中枢となる施設が整備される。
      建久2年(1191年)社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。
      承元2年(1208年)神宮寺を創建
      室町時代~戦国時代鎌倉幕府衰退後、一時衰退する。
      戦国時代に里見氏により焼き討ち(鶴岡八幡宮の戦い)にあい、その後、北条氏綱により再建される。
      江戸時代江戸幕府の庇護を受け大規模化が進む。
      仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂などが建築され、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。
      境内には方五間の多宝大塔や、東照宮も存在した。
      慶応4年(1868年)3月13日に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出される。
      明治3年(1870年)大教宣布、廃仏毀釈の動きが始まり多宝大塔などの仏堂が破壊され、仏像、仏具、什宝、経典などが破壊・焼却処分されるか散佚した。

      メインのカテゴリーが『鶴岡八幡宮』と同じ史跡の一覧

      史跡記事の過去のアーカイブです。史跡記事ではテーマに関連する様々な歴史的名所をご案内します。
      各名所についての細かい内容についても知ることが出来ますのでぜひご覧ください。

      © 2021 HP工房松戸