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史跡紹介

Kunouzan-toshogu 久能山東照宮

久能山東照宮
  • 観光情報
  • 史跡情報
拝観料
【個人】社殿:500円(小人200円)/ 博物館:400円(小人800円)
【団体】※公式サイト参照
アクセス
自動車の直接乗り入れはできません。
【マイカーをご利用の場合】
日本平久能山スマートインターより日本平山頂(約20分)
東名静岡・清水インターより日本平山頂(約40分)
⇒ 山頂より日本平ロープウェイ(5分)

日本平久能山スマートインターより日本平山頂(約20分)
東名静岡・清水インターより日本平山頂(約40分)
⇒山下からは石段が1,159段続きます(約20分)

【路線バスご利用の場合】
JR静岡駅より、しずてつジャストライン石田街道線にて終点「東大谷」下車(約40分)
東大谷バス停で「久能山下行き」のバスに乗り換え、終点「久能山下」で下車(約15分)
山下からは石段が1,159段続きます(約20分)
公式サイト
https://www.toshogu.or.jp/
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所在地
静岡市駿河区根古屋390番地
主祭神
徳川家康(東照大権現)
社格等
別格官幣社
創建
元和2年12月(1617年1月)
本殿の様式
権現造

徳川家康がその死後に埋葬されご祭神として祀られる神社です。
家康は元和2年(1616年)4月17日に波乱に満ちた75年の生涯を閉じましたが、その際の遺言により亡骸は久能山に埋葬され、同地に2代将軍徳川秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)というのが遺言の内容でした。

史跡「久能山東照宮」のポイント紹介

  • 久能山東照宮博物館

    徳川家康公を御祭神とする久能山東照宮に付属する歴史博物館です。
    収蔵している資料は久能山東照宮に奉納された伝世の宝物中心で、中でも徳川家康公の日常品(手沢品)がまとまっている事、徳川歴代将軍の武器・武具が充実している事が特徴であり、その総数は2,000点を超えます。
    公式サイトより

この史跡が登場する史跡記事

  • 大樹寺

    大樹寺は徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍の位牌が安置されています。 かつて松平元康(後の徳川家康)が桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られ撤退する折に、手勢18名とともに追手からこの寺に逃れ、もはやこれまでと観念し、祖先の松平八代墓前で自害し果てようと決意するほどにまで追い詰められましたが、第13代住職の登誉天室がそんな彼を諫め、自害を思いとどまらせたといいます。その時に登誉との問答の末に教えられた「厭離穢土 欣求浄土」はその後の徳川家の馬印として使われるようになりました。 その...

  • 久能山東照宮

    久能山東照宮

    徳川家康がその死後に埋葬されご祭神として祀られる神社です。 家康は元和2年(1616年)4月17日に波乱に満ちた75年の生涯を閉じましたが、その際の遺言により亡骸は久能山に埋葬され、同地に2代将軍徳川秀忠の命により久能山東照宮が創建されました。 「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)というのが遺言の内容でした。

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史跡「久能山東照宮」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:濱乃翔穏

    評価:5

    壮麗な日光東照宮は「日光を見ずして結構というなかれ」と言われていますが、徳川家康公が葬られ「東照社」として最初に東照大権現(家康公の神号)を祀った“本家”である久能山東照宮もなかなか“結構”なものです。 深い樹林に囲まれた日光東照宮に眺望はありませんが、標高200mに立地する久能山東照宮では、樹木や山に遮られて富士山こそ見えないとはいえ、眼下には光り輝く駿河湾が広がり、遠くには伊豆半島が横たわる雄大な風景を楽しむことができます。その意味では「日光と久能山を見ずして結構というなかれ」と言う方が正しいのではないでしょうか。 体力と気力と時間がある方は、できれば絶景を楽しみながら1159段の表参道を登られることをお勧めします。 ── 以下は東照宮に関するトリビアです。興味のある方だけどうぞ ── 【三大東照宮とは】 本宮の「日光東照宮」と本家である「久能山東照宮」が二大東照宮であることに異論はないでしょう。しかし三番目には多くの候補があってまだ確定していないようです。「十大東照宮」ということであれば、下記でほぼ決まりだと思います。 ・上野東照宮(東京都) ・紀州東照宮(和歌山市) ・世良田東照宮(太田市) ・芝東照宮(東京都) ・滝山東照宮(岡崎市) ・鳳来山東照宮(新城市) ・仙波東照宮(川越市) ・南禅寺塔頭 金地院東照宮(京都市) ちなみに東照宮は江戸時代に約700社まで増えたようですが、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈により数を減らし、現在では130社ほどを残すのみとなりました。 【徳川家康公を祀る神社をなぜ「東照宮」と称するのか?】 ※ あくまでも私なりの解釈です。 「東照宮」は徳川家康公の神号である「東照大権現」を祀る神社です。東照宮の創建当時に流布していた「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」によれば、「東照大権現」は「東方の浄瑠璃世界からこの世に光を照らす薬師瑠璃光如来(薬師如来)が仮の姿で現れた垂迹神(権現)」ということになります。このことは日光東照宮には東照大権現の本来の姿(本地仏)である薬師如来を祀る、鳴き龍で有名な「本地堂(薬師堂)」が実在していることからも説明できます。 病んだ戦国を平定して太平の江戸時代を実現させた家康公は、病や苦しみから人々を救う薬師如来がこの世に現れた垂迹神であると当時は考えられていたのか、あるいは江戸幕府が統治上の理由により、生前または没後に家康公を神格化したのかも知れません。 家康公は、今では廃寺となっている「東照山 平福寺」の「“東照”薬師如来」にかけた眼病平癒の祈願が叶えられたため、東照薬師如来にあやかり自らを「東照」と称したとか、母親の於大の方が鳳来寺の薬師如来に祈願して誕生した自分をその化身と考えていたとか・・・諸説ありますが、そのような理由により家康公は「東照公」とか「東照神君」と称されたようです。 「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の旗印のもと、家康公は戦国という穢土を厭離して浄土を欣求するため、平福寺の東照薬師如来に加護を求め、その願いは戦国の乱世を平定して265年間も続いた太平の江戸時代を実現するという形で叶えらました。 静岡県袋井市の平福寺跡近くにある「松秀寺」に残されている家康公直筆とされる願書(写真参照)には「東照薬師如来のお力を私にお与えてください」と記されており、太平の世の実現を願った家康公の祈りが、400年以上の時を超えて伝わってくる思いがします。なお平福寺跡には、東照薬師如来を安置する東照薬師堂が現存しています。

  • 投稿者:Kenji T

    評価:5

    おおっ❗️ここの口コミにも、いいね👍が付きましたっ😄 小学校以来の訪問となりました。今回は初めてのカミさんと😊 日本平も見たいと言ってたので、ロープウェイから東照宮へ… 東照宮へ到着すると何故か携帯が熱を持って熱くなってました。カミさんのも…はて❓😱 そしてカミさんはナニかを感じてるらしく、体が熱いそう…パワーですか?これは❓ま、しっかりとお参りしてきました😊 逆さの葵の御紋も発見っ❗️ 懐かしくも楽しいお参りとなりました。 お茶のソフトクリームは、お茶好きならいいかも😏 懐かしいジュースの自販機もありましたっ♪

  • 投稿者:安兵衛

    評価:4

    海側からは長い石段があるので、日本平側からロープウェイで参拝してきました。ロープウェイと拝観料で1,750円。 海側からはロープウェイ代金は掛からないが、民間駐車場に停めるのに駐車料金が掛かり、日本平側は駐車場代が掛からないがロープウェイ代金が掛かる。 総額なら海側、手軽さを考えるなら日本平側という事で、今回は手軽なロープウェイを選択。結果、展望台もあり、壮大な景色も見れたので正解だったと信じる。 1ヶ月ほど前に日光東照宮に参拝したので、そのイメージが残ったまま参拝すると、想像以上に小さく思えます。 奥宮の御神廟はご立派で神聖な雰囲気が漂ってます。

  • 投稿者:和里

    評価:4

    金の成る木に書かれた御朱印いただきました

  • 投稿者:サスケ

    評価:5

    いちご狩りも目的に行きました。あまり知識なく行ったのですが建物や景色に感動!階段で約1200段も知らずに登り大変でした。段差が色々であり少しつまずいてしまうこともありましたが、頑張った甲斐もあり感動しました。金のなる木の由来?も自分の行動を改めて考えさせられました。家康すごい! 次はロープウェイに乗りたいです。

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史跡「久能山東照宮」についての読者投稿

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久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡市駿河区根古屋に所在する神社である。江戸幕府を創始し、晩年を駿府(現:静岡市葵区)で大御所として過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去、遺命によってこの地に埋葬された。駿河湾に面した久能山の南斜面に設けられた表参道(1159段の曲がりくねった石段)を登った上に神社がある。

江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。

2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。2015年(平成27年)には鎮座400年を迎え、様々な催し物が企画、開催された。

久能山東照宮の簡易歴史年表

天文11年(1543年)徳川家康、誕生
※ 12月26日(1月31日)
元和2年(1616年)徳川家康が駿府(現在の静岡市)で死去。
※ 4月17日(6月1日)
元和2年(1616年)5月(6月)久能山で東照社(現・久能山東照宮)が着工される。
元和3年(1617年)2月21日(3月28日)朝廷から神号「東照大権現」が宣下される。
元和3年(1617年)東照社(久能山東照社)創建。

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