かつて今川氏の居城があった場所に、慶長10年(1605年)、将軍職を秀忠に譲った徳川家康が天下普請で築いた城で、江戸城にとともに東日本における幕府の二大拠点として機能した。江戸城天守に匹敵する六重七階の天守があったが、寛永12年(1635年)に火災により焼失してしまい、そのまま再建されないまま明治を迎えた。現在は本丸と二の丸の城跡が駿府城公園として整備されている。
Sunpujyo 駿府城
- 観光情報
- 史跡情報
- 開館時間
- 午前9時~午後4時30分
※ 入館は午後4時まで
- 休館日
- 月曜日
※ 祝日、休日にあたる場合は休館振替なしで営業
年末年始(12月29日~1月3日)
- 入場料(共通券)
- 【共通券】
駿府城公園全施設(東御門・巽櫓、坤櫓、紅葉山庭園)共通券
※ 3施設が堪能できるお得な共通券
大人 ¥360(団体30名様以上 ¥280)
小人 ¥120(団体30名様以上 ¥90)※ 小・中学生
【各施設入場券】
大人 東御門・巽櫓¥200(団体30名様以上 ¥160)
大人 坤櫓¥100(団体30名様以上 ¥80)
大人 紅葉山庭園¥150(団体30名様以上 ¥120)
小人 各施設¥50(団体30名様以上 ¥40)※ 小・中学生
【静岡市在住で70歳以上】
入場料が無料
※ 静岡市在住で70歳以上と確認できるものを提示された方のみ
- アクセス
- 【電車】
JR静岡駅から徒歩約15分
静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分
【自動車】
東名高速 静岡I.Cより車で約17分
新東名高速 新静岡I.Cより車で約18分
【バス】
JR静岡駅(北口10番のりば)から駿府浪漫バス約15分(東御門下車)
静岡鉄道 新静岡駅(3番のりば)から駿府浪漫バス約11分(東御門下車)
- お気に入り
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- 別名
- 府中城、駿河府中城、静岡城
- 城郭構造
- 輪郭式平城
- 築城主
- 徳川家康
- 築城年
- 天正13年(1585年)
- 主な改修者
- 徳川家康
- 主な城主
- 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏)
- 廃城年
- 明治2年(1869年)
- 遺構
- 石垣、堀
史跡「駿府城」のポイント紹介
- 縄張りの構造は典型的な輪郭式で、本丸・二の丸・三の丸が回字形に配置されている。建物はないが往時の姿を忍ことが出来る。
- 昭和を経て復元の機運が高まり、平成になってから巽櫓をはじめ、二の丸東の虎口の東御門、中堀の東御門橋、一ノ門の櫓門、南・西の多門櫓、西垣の石垣、内桝形虎口、二ノ丸南西角の坤櫓などが再建された。
- 江戸時代には駿府藩や駿府城代が置かれたこともある。
徳川家康が幼少期を人質として過ごし天下をとってからは大御所として天下を見た城
駿府は徳川家康が幼少時代に人質として連れてこられ19歳まで育った地であるが、人質とはいえ将来は今川方の武将となることを期待されたこともあり、家康にとっては、この地で武芸や学問に励んだ思い出深い地でもある。そして天下を取り将軍職を子の秀忠に譲ってからは、江戸からこの城に移り、大御所として天下を統治した城でもあります。
この史跡が登場する史跡記事
駿府城
かつて今川氏の居城があった場所に、慶長10年(1605年)、将軍職を秀忠に譲った徳川家康が天下普請で築いた城で、江戸城にとともに東日本における幕府の二大拠点として機能した。江戸城天守に匹敵する六重七階の天守があったが、寛永12年(1635年)に火災により焼失してしまい、そのまま再建されないまま明治を迎えた。現在は本丸と二の丸の城跡が駿府城公園として整備されている。
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史跡「駿府城公園」の口コミ Googleの口コミより出力
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投稿者:おだ天狗
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区にあった日本の城である。別名として府中城(ふちゅうじょう)や静岡城(しずおかじょう)がある。江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。江戸初期には大御所政治(駿府政権)の中心地となった。 江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、当時駿府藩を治めていた内藤信成に代わって駿府に隠居した(それにより駿府藩は一時的に廃藩となった)。しかし政治的影響力を持ち続けたため大御所と呼ばれた。このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が完成した。1607年(慶長12年)に、城内からの失火により、完成して間もない本丸御殿を焼失したが、その後直ちに再建工事が開始され、1610年(慶長15年)完成した。天守台は、石垣上端で約55m×48mという城郭史上最大級の規模であった。天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。1989年に市制100周年の記念事業として二ノ丸南東の巽櫓(たつみやぐら)が、1996年には東御門(櫓門)と続多聞櫓が伝統的工法によって復元された。内部は資料館となっており見学することができる。また、2014年(平成26年)3月末には二ノ丸南西角に坤櫓(ひつじさるやぐら)も復元された。
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投稿者:たかはしまさひろ
徳川家康が晩年を過ごした街駿府です。 江戸期において、最大の権力者が、最大の権力を持っていたときに作った壮大な城の雰囲気を感じられる場所になります。 公園としては大変綺麗に整備されてますね。 城跡ですから、天守や本丸なども再建されていったらより良いかな
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投稿者:野﨑まり
石垣の発掘現場は見る価値あります。時代の違いがはっきりわかります。こんな大規模な発掘現場は初めて見ました。将来的にはどのように保存し、見学できるようになるのか気になります。今のうちに見ておかないと、、かもしれません。
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投稿者:Macoto Sugiyama
この間の土曜日、さくら🌸を見に行ってみました。ちょうど 葵舟のオープン記念のイベントをやっていて、葵舟の予定時間までの待ち時間の間楽しく見させていただきたく事が出来ました。 葵舟に乗ってみると、景色も風情もとても良い感じでした。 なかなか良い1日になりました。
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投稿者:山内雅
ボランティアガイドさんがいました。石垣のことなど尋ねたら、とても分かりやすく説明してくださいました。 100名城スタンプは東門券売所にありました。わかりやすい場所でした。 駐車場が分からず、市民会館の駐車場に停めました。敷地が広くて暑い日だったので汗だくになりました。
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駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区にあった日本の城。現在城址公園として整備されている。別名は、府中城(ふちゅうじょう)、駿河府中城(するがふちゅうじょう)、静岡城(しずおかじょう)など。江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。江戸初期には大御所政治(駿府政権)の中心地となった。
現在では、本丸と二の丸の城跡が都市公園「駿府城公園」として整備されている。
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