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史跡紹介

Saihoji 西芳寺(苔寺)

  • 史跡情報
山号
洪隠山
宗派
臨済宗系単立
本尊
阿弥陀如来
創建年
(伝)天平年間(729年 - 749年) 中興:暦応2年(1339年)
開基
(伝)行基 中興:夢窓疎石
別称
苔寺

西芳寺は境内の苔むした庭園が美しい「苔寺」の通称で親しまれている臨済宗の仏教寺院です。作庭の名手であった夢窓疎石により作庭されました。
池には、朝日島・夕日島・霞島と3つの島があり、池の周囲は苔で埋め尽くされています。
100種類(約120種類)以上といわれる苔は作庭当時からあったものではなく、江戸時代も末期になってからといわれています。
Apple創業者のスティーブ・ジョブズも、お忍びで家族とともによくこの寺を訪れていたといいます。1994年「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

拝観は事前申し込み制であり注意が必要です。
かつては誰でも参観できる寺院でしたが、観光公害への配慮から、1977年7月からは往復はがきによる事前申し込み制となりました。2021年6月からはインターネットによる事前予約が可能です。
拝観だけの申し込みは出来ず、読経と写経に参加することが条件になっています。
原則、中学生以上の方のみの参拝となりますが、年に数回ほど、お子さまを中心とした参拝日が設定されることがあるようです。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
http://saihoji-kokedera.com/reservation.html

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史跡「西芳寺」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:飛鳥芳樹

    評価:5

    梅雨明け宣言が出された後、苔寺-西芳寺を特別拝観させていただきました。 本堂拝観、写経の後、本堂から美しい日本庭園を眺め、その後庭に降り苔が見事な中、たちどまりしながらゆっくり散策させていただきました。 それと今回御住職の機嫌が良かったのか、御朱印をお願いしたところ、いつもの朱印以外に両面見開きで達磨太子様の朱印まで書いて頂けました。 苔庭は良く手入れされており、今回で4回目ですが春,夏,秋,いつ訪れても堪能出きます。特に秋、紅葉と苔庭のコントラストが見事な時期いいと思います。 半年ぶりに伺いました。秋の紅葉の時期も苔の緑と木々の紅葉、コントラストが美しく感じますが、やはり苔の庭を楽しむのは、雨の多いこの時期が良いと思います。今回も美しく心癒される一時を過ごすことが出来ました。

  • 投稿者:桑野幸

    評価:5

    予約は9日前でも大丈夫でした!

  • 投稿者:あとり

    評価:4

    22年5月21日に訪れました。 事前予約が必要です。 事前予約は往復はがきか、ホームページのオンラインからもできます。 オンライン予約は1週間前から前日までの間の、定員に達していない日時に予約できます。 また、オンラインのマイページからキャンセルや予約内容の変更もできます。 ただしオンライン予約の場合、拝観料は4000円です。 往復はがきの場合は3000円以上です。 今回私はオンライン予約にしました。予約は簡単に出来ました。 当日、受付で予約完了後に送られてくる「参拝証メール」を提示して、拝観料を現金で支払います。 受付のある衆妙門をくぐり、少し歩くと立派な本堂が見えてきます。 まず、本堂にあがり写経をします。 本堂には御本尊・阿弥陀如来像と堂本印象画伯の襖絵があります。 堂本印象画伯の襖絵は必見です❗❗ぜひ襖の引き手も見てください。 堂本印象画伯がつくった面白い形の引き手でした。 その後、池を中心とした庭園をまわりました。 苔と新緑が美しい庭園でした。 向上関の先にある枯山水庭園は立ち入り禁止となっていて非公開でした。 広い庭園はどこも美しかったです。 またいつか冬の期間のみ公開されている堂本印象画伯の襖絵を拝観したいと思っています。

  • 投稿者:M

    評価:5

    境内一面に苔が広がっていて、とても美しかったです。 凄く手入れされていて見事でした。 お寺の僧侶の方々もとても優しく親切で良かったです。 四季折々の楽しみ方があるようなので、次は春に行きたいです。

  • 投稿者:Yu Ya

    評価:2

    以前は早く行って早く写経を書き終えたら空いている庭園でゆっくり過ごすことができましたが、数ヶ月前から拝観システムが変わり、一斉の写経スタート、写経書き終えてもすぐ退出出来ず、みんな揃ってから係員の説明を聞く必要があります。団体ツアーみたいになってしまったのが残念。 2000円のときは上洛する友人を連れてちょくちょく伺っていましたが、一人4000円はさすがに高いと思います。いままで散々うかがったので、この値段ならもう一生行かなくても良いかなと思います。

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西芳寺(さいほうじ)は、京都市西京区にある臨済宗系単立の寺院。山号は洪隠山。本尊は阿弥陀如来。開山は行基と伝え、中興開山は夢窓疎石である。もとは天龍寺の境外塔頭であった。庭園は約120種の苔に覆われ、苔寺(こけでら)の通称で知られる。「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

西芳寺(苔寺)の簡易歴史年表

飛鳥時代かつてこの地に聖徳太子の別荘があり、太子作の阿弥陀如来像が祀られていた
平安時代第45代の聖武天皇の勅願により、行基が別荘から寺(当時は「西方寺」と称した)へと改めた(伝)
平安時代また、真言宗開祖である空海が入山し、黄金池にて放生会を行った
室町時代暦応2年(1339年)、荒廃していた西方寺を室町幕府の摂津親秀が再興。作庭の名手でもあった夢窓疎石を招いて臨済宗(禅宗)に改宗し、名称も「西芳寺」と改められた。
弘和2年(1382年)3代将軍の足利義満が西芳寺を訪れ、道服を着用して指東庵で坐禅に徹宵。
その後、西芳寺を模して創建したのが鹿苑寺(金閣寺)。
室町幕府第8代将軍の足利義政により指東庵が再建。
その後足しげく通い、西芳寺と鹿苑寺を模して創建したのが慈照寺(銀閣寺)。
応仁の乱(1467-1477年)文明1年(1469年)、応仁の乱(1467-1477年)で東軍の細川勝元の陣が敷かれたことにより、西軍の攻撃により焼失。
戦国時代兵乱により焼失したのを、織田信長が天龍寺の策彦周良に命じて再建させた。
江戸時代江戸時代、寛永年間と元禄年間に洪水などで2度にわたって荒廃。江戸時代末期に入って荒廃した庭園が苔で覆われるようになる。
幕末から明治幕末の1862年に岩倉具視が一時湘南亭に隠棲。
明治維新の神仏分離令の廃仏毀釈により境内地は狭められて荒廃、1878年に再興。
昭和から現代1928年、庭園が一般公開。
1951年7月11日、京都府一帯を襲った集中豪雨により土塀が一部倒壊、庭園の苔も泥で覆われる。
1969年に西来堂再建。
1977年7月以降、一般の拝観を中止、往復はがきによる事前申し込み制となる。
2021年6月1日、インターネットによる事前予約がはじまる。

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