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史跡紹介

Aizu-wakamatu-jyo 会津若松城

  • 観光情報
  • 史跡情報
所在地
〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1
営業期間
公開:8:30~17:00 入城は16:30まで
公式サイト
https://www.tsurugajo.com/tsurugajo/
お気に入り
別名
鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
城郭構造
梯郭式平山城
天守構造
望楼型7重不明(1593年(文禄2年)築) 層塔型5重5階地下2階(1611年(慶長16年)改) 層塔型5重5階(RC造 1965年(昭和40年)外観復興)
築城主
蘆名直盛
築城年
1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)
主な改修者
蒲生氏郷、加藤明成
主な城主
【黒川城】 蘆名氏、伊達政宗 【若松城】 蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏・会津松平家
廃城年
明治7年(1874年)
遺構
石垣、土塁、堀
再建造物
天守・門・櫓・長屋

蘆名氏の居城としてはじまり、蒲生氏郷や加藤嘉明の時代に近代城郭に発展した会津若松城あいずわかまつじょうは、難攻不落の五層天守を擁する東北地方ではじめての近代城郭。
江戸期は会津松平家の居城としてあり続け、幕末の戊辰戦争では有名な籠城戦を戦い白虎隊の逸話も残した。

史跡「会津若松城」のポイント紹介

  • 古くは黒川城と呼ばれ蘆名氏の居城であったのを伊達政宗が攻め取ったものだが、さらにその後、政宗が秀吉により会津の領地と黒川城を召し上げられると、蒲生氏郷が代わって入封となり、北の伊達・最上、江戸の徳川をけん制する役目を課された。
  • 天正18年(1590年)蒲生氏郷は黒川城の改修に着手し、金箔瓦の敷かれた七重の天守が造営されたといわれる。ただ実際は、五重七階がせいぜいだったのではないかといわれている。
  • その後、城主が目まぐるしく変わったが、寛永4年(1627年)に加藤嘉明が伊予松山より転封となると、その子・明成により大改修が行われ現存する若松城の構造と同様の居城となった。
  • 加藤氏はその後改易となったが、徳川将軍の徳川家光の弟にあたる保科正之が入場すると、以降は保科家の居城となり(後に「松平」へ改める)会津松平家として幕末まで続いていった。
  • 幕末となり戊辰戦争が起きると会津藩はこの城に籠城して新政府軍と戦った。1日に200発の砲弾を浴びるなどして満身創痍となった若松城であったが落城はしなかった。この地に残る白虎隊の話はあまりにも有名。

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  • 会津若松城

    蘆名氏の居城としてはじまり、蒲生氏郷や加藤嘉明の時代に近代城郭に発展した会津若松城は、難攻不落の五層天守を擁する東北地方ではじめての近代城郭。 江戸期は会津松平家の居城としてあり続け、幕末の戊辰戦争では有名な籠城戦を戦い白虎隊の逸話も残した。

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史跡「鶴ヶ城」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:町田忍(SHINOBU MACHIDA)

    評価:5

    楽しみにしていた絵ろうそく祭りはコロナの影響で中止になりましたが、赤瓦の鶴ヶ城が白く化粧をする姿を見たくて2月上旬に行きました。 どの角度から見ても美しいお城です。雪が降った翌日には樹氷も相まってとても綺麗なのですが、私の行った前の日は陽気が暖かくて溶けてしまっていました。それでもこの美しさです。 本丸ちかくの売店にて、米麹の甘酒を買い、ベンチに腰掛けながら城を眺めて飲んでと、贅沢な時間も過ごせます。 春の桜開花の頃も楽しみにしています。秋の紅葉もお勧めです。

  • 投稿者:akimustang

    評価:5

    4/16土曜に鶴ヶ城へ伺いましたが、桜が満開で素晴らしかったですね♪ 北出丸大通り沿いの桜並木も美しくそこから鶴ヶ城が道の真ん中に綺麗に見えていました。 また城内の桜も満開で、天守閣最上階からの景色も桜が満開で素晴らしかったですね♪ なお駐車場は満杯で、市営駐車場へ案内されていました。 車の方はご注意です。

  • 投稿者:みゆうみゅう

    評価:5

    2時間程で行けるので初めて伺いました。 桜の季節にはまだ早いので観光客も少なくゆっくりと見て廻ることが出来ました。 お城の中の展示物も大変興味深く、本で学んだ白虎隊の詳しい話しも分かり歴史に興味の無い私でしたが大変楽しめました。 入場券は抹茶セットで1000円でしたが、敷地内にある観光案内所にあるパンフレットを頂くと100円引きで入れます。 城内を見て回り出口にあるお土産屋さんを抜けて、茶室麟閣でお抹茶を頂いて最後は茶店の様な屋台の様なお店を散策して、入場料以上に楽しめたので本当に良かったです。

  • 投稿者:DG K

    評価:4

    夏休みに磐梯山へ遊びに来たついでに足を伸ばしました。 いわゆるお盆入り直前の平日で空いていたので、好きなペースで見学することが出来ました。 個人的にはもう少し会津藩や戊辰戦争について下調べしてからいくとより楽しめたかなと思いましたが、綺麗に組まれた石垣を見るだけでも一見の価値アリと思います。

  • 投稿者:カタコト

    評価:5

    会津若松に来る甲斐が間違いなくあります。 赤瓦が本当に綺麗。是非肉眼で拝んで欲しい。 内部は資料館になっており、 会津若松の歴代藩主について 戊辰戦争について 会津若松出身の偉人について と大変勉強になりました。 特に4階の偉人コーナーはさらっと流すには勿体ない。ちゃんと読みました。明治以降も立派な偉人を輩出されてるんですね。 一階、二階は撮影できませんが、三階から上は撮影できます。 麟閣も見られるセット券もありますが、お茶をそこで飲むでもなければ正直スルーで良いでしょう。 あと地味にお土産さんの品揃えがかなり良いです。会津若松、色々回りましたが、お洒落な和フォークはここでしか売っていませんでした。

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若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城。別名鶴ヶ城(つるがじょう)で、地元ではこの名で呼ばれることが多い。また、同名の城が他にあるため、会津若松城(あいづ わかまつじょう)とも呼ばれる。さらに文献では黒川城(くろかわじょう)や、会津城(あいづじょう)とされることもある。現在の天守等は復元であり、若松城跡(わかまつじょうせき/わかまつじょうあと)として国の史跡に指定されている。

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