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史跡紹介

Hagi-jyo 萩城

  • 観光情報
  • 史跡情報
所在地
〒758-0077
山口県萩市南古萩町付近
アクセス
(1)JR東萩駅から徒歩で20分
(2)中国自動車道美祢東JCTから車で20分
小郡萩道路絵堂ICから車で20分(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
公式サイト
https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100049
お気に入り
別名
指月城
城郭構造
梯郭式平山城(指月山)
天守構造
複合式望楼型5層5階(1608年築・非現存)
築城主
毛利輝元
築城年
慶長9年(1604年)
主な城主
毛利氏
廃城年
明治7年(1874年)
遺構
長屋、石垣、堀
指定文化財
国の重要文化財(厚狭毛利家長屋) 国の史跡
再建造物
北の総門・土塀・土橋

毛利輝元が関ヶ原の合戦の後に、居城として築いた城であり、長州藩の居城となった城である。

史跡「萩城」のポイント紹介

  • 毛利輝元が関ヶ原の合戦で負けて、周防、長門の2か国に減封された後の慶長9年(1604年)に居城として築城した城(完工は慶長13年)。
  • 指月山山麓の平城(本丸・二の丸・三の丸)と、山頂にある山城で構成されており、本丸御殿は藩主居館と政庁を兼ねており、幕末までの250年ほどの間、長州藩の拠点であった。
  • 明治7年(1874年)に、前年に発布された廃城令により櫓などの建造物が破却され、石垣や堀のみが現存している
  • 現在は指月公園(しづきこうえん)として整備されており、二の丸近くの旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(重要文化財)は、松下村塾、侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっている。
  • 毛利輝元は関ヶ原の戦いの折に西軍の総大将となった人物

    安芸の戦国大名・毛利氏の14代当主であり、後に石田三成によって西軍(豊臣方)の大将として担がれた。関ヶ原合戦は東軍の勝利で終わったが、その結果として周防・長門の2か国に減封となり、かつての拠点である広島城を出て、この城を建てた。

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史跡「萩城跡」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:Aki Yoshi

    評価:3

    日本百名城のひとつ。国指定史跡。入場料220円、駐車場は無料です。石垣と堀だけが残り、櫓や門などは現存していません。 関ヶ原の戦いで徳川に敗れた毛利輝元が広島城から長門と周防に移封させられて、慶長9年(1604)に築城。以後13代260年間、毛利氏により統治されます。明治以前は本丸に高さ14mの五重天守があったようです。園内には天守跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。公園の向かいには毛利氏武家屋敷の長屋が残っており、毛利一族についての展示がされています。 公園にはソメイヨシノが600本埋められており、桜の名所にもなっています。また日本で唯一のミドリヨシノという品種も1本だけ存在し、山口県の天然記念物に指定されている桜の名所でもあります。夜は石垣のライトアップなどもされています。駐車場から城郭までの参道には萩焼の窯元の販売所もあり、立ち寄るのも面白い。

  • 投稿者:岩川亮太

    評価:3

    萩藩毛利氏の居城です。天守閣等の建物は残っていませんが、海に突き出した山に築城されているため非常に特徴的な城跡だと思います。濠や石垣は残っています。明治維新において、倒幕への舵を切り、新しい国の形を模索した長州藩だったこともあり、明治維新後にはすぐに城の建物を解体そうです。城郭が残っていないことは残念な気もしますが、そのような歴史的な背景を理解するとそのこと自体も歴史の面白さとして感じることができると思いました。

  • 投稿者:はやぶささくら

    評価:4

    萩城跡にも寄りました。 関ヶ原の合戦の敗戦で、西軍の総大将であった毛利輝元は長門・周防2国に移封されました。輝元は1604年に日本海に面した長門国の萩に築城を開始しました。 萩城は標高143mの指月山の山麓に本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれ、城は1874年に解体されましたが、今は城跡のみ残っています。 この場所に天守閣があった跡地ですが、庭園や石垣や堀の一部が往時の姿をとどめています。 5層の白亜の天守閣だったそうで、最上階は高欄をめぐらした桃山期の形式を示すものでした。 花江茶亭と言うものもあり、藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃移築したものです。 幕末の頃、13代藩主毛利敬親が家臣達と茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したと言われています。 萩城跡に続く道には毛利輝元像があります。

  • 投稿者:北条の足軽

    評価:5

    関ヶ原での敗戦で減封された毛利が広島城から移った新たな出発点としての城 海縁の中洲に築いた城で指月山の頂上にも詰めの城を作りました 特に花崗岩の石垣はとてもキレイですね 無料観光駐車場があります 輝元の像にご挨拶して南門の石垣の枡形虎口を拔けるとキレイな水堀の内堀、大手の橋で堀を渡りまた枡形虎口を拔けると料金所です 220円で園内と駐車場前の屋敷に入れます 実は海側から入退城すると料金所はパス出来て屋敷だけなら100円だと地元の人が教えてくれました 先に聞きたかったです そこからは順路の看板があるのですが石垣の上も歩けますので堀を見ながら歩きましょう かなり入り組んだ水堀で石垣も芸術的に折れ曲がっています 天守台跡の算木積みの反り返りは見事です 天守台に登り礎石と景色を眺めたら本丸を歩き回りましょう 移築された茶屋敷からその先の神社でお参りしたらキレイな水庭園の東園を歩きます そして奥から海からの襲撃に備えた銃眼土塀を浜側に出て眺めましょう 毛利は解体された村上水軍も部下にしたので海にも強かったでしょうね そのまま浜を歩き先の切れ目から内堀側に戻ります こちらからが料金所パスコースです 内堀の外側から堀や石垣を見ながら戻り、駐車場に戻ったら道路向かいに移築された毛利分家の厚狭毛利萩屋敷を見ましょう こちらに萩城のジオラマがあるので城より先に来るのも良いですね その後時間があれば萩の町歩きです 少し距離ありますが平らですのでツラくはないです、途中に萩博物館があり復元櫓もあり、近くには北の総門や物見櫓もあります 私は先に町歩きして時間を掛け過ぎて営業終了してしまい、ガッカリしてたら総門も見逃してしまった 町には木戸孝允や高杉晋作ら長州幕末維新志士の屋敷や関係する寺などがありかなり楽しめました 萩焼きも手習い品などは安く売ってる店がいくつかありましたよ

  • 投稿者:tea spoon

    評価:4

    入場料は大人220円です。石垣はそこそこの高さですが遠近感がダイナミックで美しいです。 城内にある庭園もですが毛利さんの残した庭園は何処も見事です。

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萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城。別名は、指月城(しづきじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。

現在、城跡は指月公園(しづきこうえん)として整備され、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(重要文化財)が現存し、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっている。萩市の観光の中でも有名である。

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