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史跡紹介

Nagoyajyo-ato 那古野城跡

那古野城跡
  • 観光情報
  • 史跡情報
所在地
愛知県名古屋市中区本丸1-1
交通アクセス
【鉄道】
M 名古屋市営地下鉄名城線
市役所駅下車 7番出口より徒歩5分
T 名古屋市営地下鉄鶴舞線
浅間町駅下車 1番出口より徒歩15分
ST 名鉄瀬戸線
東大手駅下車 徒歩15分
【路線バス】
名古屋市営バス
名古屋城正門前バス停下車 徒歩1分
市役所バス停下車 徒歩5分
基幹バス(名古屋市営バス、名鉄バス)
市役所バス停下車 徒歩5分
メーグル(なごや観光ルートバス)名古屋城下車。
自動車
駐車場520台
30分毎に180円
お気に入り
城郭構造
平城
築城主
今川氏親
築城年
大永年間(1521年-1528年)
主な城主
織田信秀、織田信長
廃城年
天文24年(1555年)頃
遺構
石碑

織田信秀おだのぶひで・信長が居城とした城です。
名古屋城の前身となる城です。

この史跡が登場する登場人物

  • 織田信秀

    織田信秀

    永正8年(1511年)生~天文21年3月3日(1552年3月27日)没 尾張の戦国大名。尾張の守護代・織田大和守家の庶流である織田弾正忠家の当主で、織田信長の父。 織田弾正忠家の勢力拡大をはかり、尾張国内はもとより美濃、三河にまで勢力を広げ、後の織田信長の勢力拡大のもとをつくる。尾張国内にあっては、名古屋城を奪い経済都市である津島、熱田を抑え、国外にあっては西三河から美濃大垣城にいたる勢力を獲得するも、晩年は西三河を失い、斎藤道三に敗れるなど窮地に立たされる。家督を嫡男の信長に譲る。

この史跡が登場するブログ記事

  • 織田信秀

    織田信秀「尾張国内の勢力拡張編」①那古野城の奪取

    前回は、織田家の尾張国内における地位と、信長の属する織田弾正忠家の立ち位置について解説しました。織田弾正忠家は守護代の織田大和守家の家臣の家であり、その上にはさらに守護の斯波義統がいるような状況でした。 守護の斯波家はかつては尾張、越前、遠江の3国の国主であったものの、織田信秀の代には尾張一国のみの国主となっていました。 そうした情勢のなかで、織田信長の父・織田信秀は清洲三奉行の一人、勝幡城主の織田信定の長男として生まれまます。 そして、信定の生前である大永6年4月(1526年)から大永7年(1527年...

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史跡「那古野城跡」の口コミ Googleの口コミより出力

  • 投稿者:成瀬主水正輝勝(主水正)

    評価:4

    尾張国愛知郡那古野に、1521~28年大永年間・今川氏親(今川義元の父)が、築城した平城です! この城は30数年で、廃城になりましたが、半世紀後に今の名古屋城が、天下普請されました!

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那古野城(なごやじょう)は、戦国時代に尾張国愛知郡那古野(現在の愛知県名古屋市中区)にあった日本の城。

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