守山城は尾張国守山(現在の愛知県名古屋市守山区市場)にあった日本の城です。
記録によると、天文4年(1535年)には
織田信光、織田信次、織田信時などが城主を務めました。廃城の時期は不明で、桶狭間の戦いの後とも、織田信次の死後とも、長久手の戦いの後ともいわれています。
廃城の時期は、桶狭間の戦いの後とも、後に城主に返り咲いたという信次の死後とも、長久手の戦いの後とも言われる。
浅井氏滅亡後に尾張に戻ったお市の方とその子である茶々、初、江の三姉妹は守山城の信次に預けられ一年間程滞在していたようです。
Moriyamajoshi 守山城跡
- 観光情報
- 史跡情報
- 所在地
- 愛知県名古屋市守山区市場4−22
- アクセス
- 名鉄瀬戸線 矢田駅より北へ徒歩で約10分。
- お気に入り
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- 城郭構造
- 平山城
- 主な城主
- 桜井松平家、織田氏
- 遺構
- 本丸の一部、空堀
この史跡が登場する登場人物
松平清康
戦国時代の武将。安祥松平家の第7代当主。三河国安祥城、岡崎城主。 徳川家康の祖父にあたる。
織田信秀
永正8年(1511年)生~天文21年3月3日(1552年3月27日)没 尾張の戦国大名。尾張の守護代・織田大和守家の庶流である織田弾正忠家の当主で、織田信長の父。 織田弾正忠家の勢力拡大をはかり、尾張国内はもとより美濃、三河にまで勢力を広げ、後の織田信長の勢力拡大のもとをつくる。尾張国内にあっては、名古屋城を奪い経済都市である津島、熱田を抑え、国外にあっては西三河から美濃大垣城にいたる勢力を獲得するも、晩年は西三河を失い、斎藤道三に敗れるなど窮地に立たされる。家督を嫡男の信長に譲る。
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史跡「守山城跡」の口コミ Googleの口コミより出力
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投稿者:iso yuk
2022年4月25日名古屋市営地下鉄バンテリンドーム駅から徒歩で矢田川を渡り「橋本屋」と言う金物屋さんのところを左折30mほどで右に曲がると「宝勝寺」さんと言う立派なお寺があります。 守山城跡は「宝勝寺」さんの裏手にあります。階段が新たに整備されていました。どなたが整備されたか感謝です。 「守山城跡」の立派な碑があり、右手は住宅街が広がっています。 天気の良い日にお出かけになってはいかがでしょうか。
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投稿者:望月裕久
見学は控えめに行きましょう。御好意で見られます。
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投稿者:まきまき海苔巻き
私有扡を横切って城跡に行くのが斬新でじゅた。頂上に石碑がありまじゅたが、階段も新しく整備されようで、登りやすかったでじゅ。
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投稿者:あみ
守山城の看板は変わらないですが、行き方の看板が追加。 アパートの敷地内を通過して小山の取付き登ります。足元悪いので下りはゆっくり注意して下さい。また アパートの住人に迷惑掛けない様速やかにですね。 草刈り済ませた広場には石碑があり城跡と分かります。松平家の城 二重堀があったとされてます。開けた景色から幾つも城跡があることから、この辺り一段高くなっており、景色が良く岩崎城や小牧城に金華山と見えたのでしょうね
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投稿者:加藤雅巳
見晴らしはまあまあです。
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守山城(もりやまじょう)は、尾張国守山(現愛知県名古屋市守山区市場)にあった日本の城。
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